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気ままな一人暮らしの、ささやかな日常
美術鑑賞からプログラムのコードまで、思いつくままに思いついた事を書いています。
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ざっくざく > 文章 > 三題噺 六十五
ここに来るまで、何百戦しただろう。いや、百や千の数字では収まらないなと考え直す。
それでもこの計算結果を待つ時間は相変わらず苦手だった。
三人が紙を捲る音と電卓を叩く音だけが部屋に響く。
目を彷徨わせるな、計算時間は心理戦だ。と繰り返された師匠の注意が蘇る。計算係を見たくなる両目を盤面の一点に縫い付ける。穴が開くほど見つめた。
電卓を叩く音が止まったような気がする。

ごくりと唾液を飲み下す。
多分、勝っている、はず、だ。
「勝者」
声に応じて顔を上げる。正面にいるのは見慣れた顔だ。
この人との対戦だけでも、百回は下らないかもしれない。それだけの回数を戦ってきた。昔はこんなに対等じゃなかったが。
けれど、緊張は解けない。

総計算係がすっと手を上げる。俺の側だ。
頭の中での計算通り、俺が勝ったという事か。
「……おめでとうございます」
「恐悦至極にございます」
目の前で潔く負けを認め、頭を下げて俺の勝利を祝う人に、師匠、とは言葉に出せなかった。


「決まり手は竜の表札か」
盤面を見ていた師匠が呟くように言う。このまま対戦審議に移行するらしい。
対戦審議というのはどこで勝負が決まったとか、この手が不味かったとか、この札とこの札で迷ったとか、そんな話をする時間だ。
特に計算係が三人もいる公式戦の審議は長い。
今回は師弟対決として注目を集めているから、公式戦の中でもじっくりやってくれるだろう。
大事なのは平等な博愛じゃない。愛好者に対するおもてなしだ。

決まり手……勝負の決定打になったのは、表札として出した竜。
普段は裏札の兎が多いから、俺にしては珍しいだろうか。
「そうですね。表札の決まり手でも公式戦の竜は初めてです」
計算係の同意に記憶を辿る。
……確かに記憶にない。全ての対戦を覚えている訳じゃないが、竜は記憶にない。裏札の鯉は何度か使った覚えがあるけれど。
「四枚の手札を持たせた時から何百戦と戦ってきたが、竜は嫌いだったな。何度も活用しろと注意した覚えがある」
これ、対戦審議じゃなくて審議後の公式会談でする話じゃ。
「そうですね……。裏札の鯉の方がまだ好きですし、竜は何となく苦手意識がありました。……いえ、今もありますが」
何だろう、なんで竜が苦手なんだろう。
気にした事もなかったけれど、強烈な忌避感があった。
何度も注意されて何とか使うようにはなったけれど、それでも苦手意識は治っておらず、活用には程遠い。
公式会談でも聞かれる気がするから、考えておこう。

「麒麟もこのタイミングで使うとは思わなかった」
「そちらも裏の鳳凰と悩みました」
竜の二枚前に出した表札の麒麟。うまく働いてくれれば、と思いながら出したのは覚えている。
「自分は珍しい手札が多かったですが、師匠は表の虎に裏の亀といつも通りでしたね」
俺の珍しい選択は緊張で場に飲まれたのかもしれない。それが今回はたまたまうまくはまっただけだ。
何百戦も負けた相手からたった一勝を拾えたが、平常心を失わない師匠が今も羨ましい。
「う、ん……。虎と狸は悩んだな」
「ああ、この時に虎ではなく狸だったら怪しかったでしょうか」
「そうなったら竜か麒麟でももう少しもつれ込んだかもしれませんね」
「そうだな。お前はこの時、蜥蜴よりも孔雀か鶴の方が良かったんじゃないか?」
「亀は候補に上げましたが、孔雀は思い浮かびませんでした」

師匠と俺の審議。
なんだか毎週指導教室に通っていた時のような変な気分になってきたが、それを打ち消す、計算係という三人の異分子。
懐かしくはなれない、俺と師匠の立場。

それにしても、と俺は溜め息を吐きそうになる。
師匠にはいつか公式戦で勝ちたい、と思っていたが、いざ勝ってみると何だか手を抜かれた気分がするのは複雑だ。
師匠もずっと挑戦している称号戦だから、絶対に手を抜いていないと頭では分かりきっているけれども。
私的な対戦では絶対に指導戦のようになってしまうと思っていたから、公式戦での勝利を目標にしていたのに。
理屈じゃない。感情が追いつかないのだ。

きっと師匠のような腕前だと、自分で思っていないからだ。
運も実力のうちというけれど、今回の一戦では運が良過ぎた。
だからだ。

「ありがとうございました」
対戦審議を終えて、俺たちは互いに頭を下げた。



完。
表札、竜、恐悦至極でした。
恐悦至極ってこんな字書くんだー←と思ってしまいました。
表札(ひょうさつ)と読んでしまうと「竜」という珍名さんの苗字しか思い浮かばず、個人名を設定しないという三題噺シリーズの独自ルールに反するのでやめました。(……一般住宅に一匹で住む竜って話でも面白かったかもしれませんね)
結局、(おもてふだ)と読んで将棋から着想した架空のカードゲームを捏造。
敬意をもって礼儀正しく喜ぶ状況……となるとやっぱり瑞獣の竜か。という事で、慣用句から裏面は蛇や飛車も悩んで鯉にしました。
竜以外のカードは鯉、蛇、蜥蜴、鶴、鳳凰、亀、兎、虎、狐、狸、麒麟、孔雀辺りです。他にもあるかもしれません。
花札のように役を作って点数を計算するゲームだと思っていましたが、相手が出した手札を見ながら出す順番を決めるので、UNOのように前に出された他のカードによって次に出すカードを選ぶ要素もありそうです。
公式戦なので、このカードゲームだけで生きていける程には賞金が出る模様。
……いつかカードゲームを作りたいなと画策していた頃があったのですが、どうにかしてルール制定してみたい次第。
2022.10/8 和美
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