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気ままな一人暮らしの、ささやかな日常
美術鑑賞からプログラムのコードまで、思いつくままに思いついた事を書いています。
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ざっくざく > 美術鑑賞 > カミーユ・ピサロと印象派展
「カミーユ・ピサロと印象派展」に行って来ました。
やっぱり前回の金山平三展で前売り券買っておけば良かったなぁ……。

特別展以外の話は記事分けます。

最寄り駅のコンビニで当日券を売っていたので買ったのですが。
コレクション展は別料金だったので、普通に美術館で買えば良かったなぁ……。

前回は終了直後だったピアノコンサートが、今回は聴けました♪
と言ってもちゃんとは聴いていませんがw
ピアノとフルートとクラリネットかな?

特別展では九月に開催される現代美術展(仮)の特別招待券を頂きました。
(結局逃しました)

特別展の感想

ピサロ展の感想。
印象派の定義が分からん。
ピサロはずっと印象派に所属していた……というか、印象派の代表だった画家なのですが、後半の一部の絵は印象派ではないような気がします。

とりあえず和美は空や水が綺麗な絵が好きらしいです。
あと流れるような雲があるとなお良し。

だからクロード・モネの脳内代表作が、妻カミーユの絵なのか、と一人で納得しました。

画家の名前が覚えられません。
カミーユ・コローとか名前はよく聞くのですが、代表作が頭に出て来なくて困ります……。
そしてジョルジュ・スラーの若過ぎた死にショックです。

音声ガイドを聞いていたら、ゴーギャンが三十五歳から画家になったと言っていてびっくりしました……。
三十歳でイラストレーターになった人がいましたが……昔の人って画家になりにくいイメージがあります。
小さい頃から絵を描いていて、専門学校を首席で卒業、有名展覧会で初入選←ここまで定形文な感じ

ちなみにピサロは親に反対されて美術学校には行っておらず、十三歳で家出しています。
ピサロの家出と出国に協力してくれたというオランダ人の画家は、どんな絵を描いていたのでしょうか。

『 印象派 』という言葉が批評家の嫌みだったとは思いもよりませんでした。
当時はあまり評価が高くなかったらしいです。

版画の技法も覚え切れない上によく分かっていません。
とりあえずエッチングはあんまり描き込まない方が好みです。
あと木版画が切り絵みたいに見えてしまいました。

同じく画家になったという長男次男はどんな絵なんだろうかと疑問です。

略年表に結婚は書かれていなかったので、いつ結婚したのかと思いました。
普仏戦争で三百点が焼失したそうで、もったいないです ……。

晩年に片目を患ったにも関わらず油絵に拘り続けたという話が不思議でした。
バレエの絵で有名なエドガー・ドガは両目の視力が落ちた後、パステルに転向、最晩年は彫刻を作っていたのですが、そこまででは弱らなかったという事でしょうか。

ピサロが若い頃、コローから 「 色調の勉強をしなさい 」 と言われて、晩年のピサロが他の人に 「 色調の勉強をしなさい 」 とアドバイスしたという話に少し笑いました。

特別展に行くと、毎回本物の絵と絵葉書や図録の印刷の落差に切なくなります……。
いやこんな薄くなかったしもっと派手だったし!でも買う。

今回展示されていなかった他の画家の絵に一目惚れして、うっかりクリアファイルを買ってしまいました。

特別展の外で、特別DVDが二十九万円で販売していたのですが。
解説は欲しいけど、自分のペースで絵を見たいです。
隣で売っていた高画質の複製原画はちょっと欲しかったですが、ピサロ展なんだからピサロの絵を売ってほしいですね。

以上。
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書いている人:七海 和美
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